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あなたは何故嫌われる?実体験から解説する四つの嫌儲メカニズム、他。

      2015/04/05

「ミニマリストは世界を救う!」さんの1/22の記事「「ネットで稼いでいます」宣言。あびる氏に学ぶアフィリエイト論。」を読みました。アフィリエイトしていますと堂々と宣言することで、叩かれなくなるという主旨の記事です。

一理あるなと感じましたが、それだけじゃないんじゃないかなと思います。というのは、僕自身、元嫌儲なので、マネタイズを嫌う気持ちというのをよく知っているからです。

堂々と宣言されようがされまいが、マネタイズが嫌われるシーンというものはあるものです。嫌儲のメカニズムを知ることは、アフィリエイト等で収入を得ている人にとって有用でしょう。

というわけで、今日のテーマは、嫌儲は何故お金を嫌うのかについてです。

一分でわかるこの記事の概要

本編に入る前に広告です

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本編入ります

おさらい

始める前に、まず記事のおさらいをしましょう。

記事「「ネットで稼いでいます」宣言。あびる氏に学ぶアフィリエイト論。」について、簡単にまとめると、以下のようになるかと思います。

  • こそこそ稼ぐと叩かれる
  • 営利目的の商売は叩かれない
  • なので、ブログ=営利目的の商売だとわかれば、叩かれない

元嫌儲でした

僕は、自分で色んなものを作るのが好きな創作ヲタです。絵とか小説とか音楽とかが好きで、当ブログの記事画像もちょくちょく自分で書いています。(これとか→「あなたはどのタイプ?ミニマリストを六つのタイプに分類してみた」)

そして、こういう創作ヲタに多いのですが、元嫌儲でした。

色々あって、現在は、その固定概念から無事脱することができています。何故嫌儲を脱することができたか、その過程については、需要があれば、また書いてみたいと思います。(今日は触れません)

いわば自分自身の振り返りも兼ねているので、若干恥ずかしいのと、セルフ批判的になる箇所もあるかもしれませんが、どうか「こやつめハハハ」と御寛恕いただければ幸いです。

話の途中ですが、ここで広告です

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続きます

こそこそ稼ぐことに「騙された感」があるのは確か

こそこそ稼ぐと叩かれる⇒確かに

まず前提ですが、記事「「ネットで稼いでいます」宣言。あびる氏に学ぶアフィリエイト論。」で主張されている「こそこそ稼げば叩かれる」というのは、その通りだと思います。

お金が動いていないと思っている事柄の裏でお金が動いていると、人は「騙された!」と思うものです。その点、お金の動きを明示してくれると、フェアプレイの精神を感じることができます。

開き直られると叩きにくいだけかもしれない

しかし、堂々と宣言されたからといって、叩かれなくなるものでしょうか?

たしかに、叩きの総数自体は減るでしょう。それは、つまり「こいつ、こっそり稼いでるぞww」という叩く口実がひとつ減るからです。

でも、それとユーザが不満を感じていないかは別問題です。「開き直られると叩きにくい」というだけの話かもしれません。いわゆる「つっこみづらい」状態です。

裏に不満が眠っているかもしれない

実際は、やっぱり「この人、お金を儲けているんだ…」ということにもにょもにょした思いを持っているユーザはいるんじゃないかなと思います。その表面化しないユーザの気持ちは、ある日突然何かのきっかけで表出するかもしれません。

他に何が?

では、嫌儲は、具体的にどういうシーンで、相手のお金儲けに忌避感を持つのでしょうか?

自分が無料でやっていることでお金を儲けている人は許せない

まず、これです。自分が無料でやっていることでお金を儲けている人が許せないというパターン。まさにブログなどがそうですね。

インターネットは広大ですが、直接アフィリエイト収入を得ているブログはまだまだ少ないでしょう。多くのブロガーは、お金とは無縁のブログ運営をおこなっているのではないかと思います。

「自分は無料でやっているのに、一方でアフィリエイトで稼いでいるブロガーがいる」――ここに嫌儲レーダーは反応するのです。

この「自分が無料でやっていることでお金を儲けている人が許せない」感覚は、更に以下のように細分化することができるかなと思います。

  1. 自分は無料でやっているのに、ずるい
  2. この程度でお金をもらうなんて許せない
  3. 本来無料なもので不当にお金をまきあげている
  4. それは、お金の絡まないピュアなものであってほしい

順に見ていきましょう。

自分は無料でやっているのに、ずるい

「自分が無料でやっていることでお金を儲けている人が許せない」細部化例の一つめは、「自分は無料でやっているのに、ずるい」です。

相手が儲けて自分が儲からないのは不公平

このケースの場合、嫌儲は、相手が金銭を得ている事実を不公平だと感じています。自分が無料でやっているのだから相手にも無料でやってほしいのです。あるいは、相手がお金を得ているのだから自分にもお金が入ってほしいのです。

実は、お金自体は意外に許容できる(かも)

実は、このケースに引っかかる人は、そんなにお金自体は嫌っていません。むしろ、ちょっぴり羨ましく思っていたり、嫉妬していたりすることもあるでしょう。より正確にいうなら、ここでフォーカスされているのは、「お金」というよりは「お金を得る機会」です。

この程度でお金をもらっている人は許せない

次の細分化例がこれです。「この程度でお金をもらっている人は許せない」という感覚です。

これは根が深い。僕もこの感覚を長らく患っていました。

「プロじゃないのにお金をとるなんて」という信仰

この感覚を患っているかたは、経験上、プロ信仰を持っているかたが多かったです。プロとアマを明確に分けたがる。お金が発生するのはプロからで、プロレベルに達しないものでお金をとるとはなにごとか――そういう感覚です。

「自分はプロに至っていない」という明確な自己認識

また、自分を低く評価している人も多いように思いました。彼らには自分はプロに達していないという明確な意識があるのです。そして、自分と同レベルor自分以下の人にも、当然非プロとしての振る舞いを求めます。

どこからがプロかなんて決まっていないことの方が多い

ただ、多くの場合、プロとは、政府から資格証明書が送付されてきて、ここからここまでがプロ!とはっきり区別されるようなものではありません。現実はもっとグラデーション的ですし、「プロ」という言葉自体が、歩いてきた道のりに後から名付けられるだけのバズワードだったりします。

そこに齟齬があるわけです。

本来無料なもので不当にお金をまきあげている

「自分が無料でやっていることでお金を儲けている人が許せない」細部化例の三つめは、「本来無料なもので不当にお金をまきあげている」という感覚です。

これはわかりやすいのではないでしょうか。この場合、嫌儲者は「それでお金を稼いではいけない」と考えています。嫌儲者にとって、それは店屋で出される水のように無料であるべきものなのです。

自分がやっていることは、お金の絡まないピュアなものであってほしい

この場合も根が深いです。細分化例の四つめは、「それは、お金の絡まないピュアなものであってほしい」です。

神聖にして侵すべからざるもの

このケースでは、嫌儲者は、その行為を神聖視しています。たとえば、ブログならブログを神聖視し、創作なら創作を神聖視しています。そして、自分が神聖視しているものについては、お金の絡まない綺麗なものであってほしいのです。

お金儲けは汚いので、汚されてしまう

必然性的に、このタイプの嫌儲感覚は、お金儲け自体を汚いものだと考えています。汚いお金儲けで、自分の信じるものが汚されたくないと考えているのです。その感覚は、処女信仰にも似ているかもしれません。

他の嫌儲パターン

というわけで、上記では「自分が無料でやっていることでお金を儲けている人は許せない」について細分化例を四つご紹介しました。(いくつかの例は「自分が無料でやっていることで~」という前置きもいらない、もっと普遍的な嫌儲感覚だったかもしれません)

他には、どんな嫌儲パターンがあるでしょうか。思いつくまま、あげてみたいと思います。

お金の重さと軽さを知らない

嫌儲者が労働経験のない未成年である場合などです。お金は生活に直結する命の引換券ですが、保護者によって生活を守られている未成年は、その引換券の重さを実感したことがありません。そのため、お金なんかにあくせくするのは、ひどく醜く、かっこ悪いことに思える場合もあるでしょう。

ただ、労働経験のある人にとって、お金は生活の引換券ですが、逆にいえば引換券でしかありません。その軽さについても、この場合の嫌儲者は知りません。

お金は苦労の結果であってほしい

これも根が深い感覚です。「お金は苦労の結果であってほしい」という感覚です。深堀りすると、これだけで記事が書けてしまいそうですが、ここではさっと流しましょう。

自分の苦労を否定してしまいかねない

この感覚の背景には、「お金が苦労の結果でなければ、自分のしているこの苦労は一体何なのか」という感覚も潜んでいます。お金≠苦労を認めてしまうと、現在の自分の苦労を連鎖的に否定してしまうケースです。

一生懸命は報われてほしい

あるいは、もっと純粋な話として「一生懸命は報われてほしい」という気持ちにもつながっているかもしれません。それは祈るような気持ちです。嫌儲という形で表面化しつつ、嫌儲者は、本当は「一生懸命苦労に苦労を重ねた結果として、すごい成功を得る」という絵図を信じています。

悪人は儲からないでほしい

もっと単純に「自分の気に入らない人は儲からないでほしい」という感覚に近いかもしれません。実際は、手段を選ばない人、ゲスい人の方が儲かったりもするのですが、でも、そこは儲からないでほしいのです。

「悪人=お金儲けする人」だと、誰も稼げなくなる

ただ、「お金を儲ける人=悪人(or気に入らない)」の公式が頭にある人の場合、この気持ちは重症です。応援していた人でも、儲かった時点で悪人認定が成立してしまうからです。「じゃあ、誰なら許せるんだ?」「え、誰だろう…」ということになりかねません。もはや、袋小路です。

まとめ

というわけで、元嫌儲だった自分の経験をもとに、どういう時にお金儲けへの忌避感が成立するかについて書いてみました。

「誰からも嫌われない」は難しい

これらの嫌儲感覚すべてをすり抜けて誰からも嫌われないお金儲けをするのは、至難の業でしょう。多くの嫌儲感覚は、驚くほど理不尽です。それは、結局は受け手の気持ち次第でしかないからです。

嫌われ方を知っておくだけでも、変わることはある

しかし、嫌われ方を把握することはそれでも有用です。

ああ、こういう嫌われ方なんだなとわかっておけば、受け取り方も変わります。メンタル的にも、不用意にへこまなくてよくなるでしょうし、どこに相手がピキッときたのかわかれば、場合によっては歩みよることもできるでしょう。

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