物を捨てきれないなりに。

ブログという文化は十分枯れたと思う。

[extoc]

ないなりです。

あらためて、ブログって何書いたらいいんだろうな~などと思っています。

自分がブログから離れているうちに世間の風潮も随分変わった気がします。今、ブログ書く人ってどれくらいいるんですかね。僕が定期的に記事を書いていた2017年くらいの頃にブログ書いていた人達は、大半がYouTube等に軸足を移しているように感じます。個人的にgoogle検索の凋落が大きかったのかなと。水素を水に希釈したような薄い記事が検索結果を席巻するようになった結果、僕らのインターネットは半ば死んでしまいました。もちろん、この現象には、うちの記事も無関係ではないでしょう。いわば、我々は自ら自分たちの海を食い荒らし、それはそれは美しいレッドオーシャンに変えてしまったわけです。

ただ、悪いことばかりではありません。ブログという文化が2017年に比べてより斜陽となったということは、それだけあやしい人が近づかなくなったということでもあります。要は、ブログという媒体は、山師にとって一番の選択肢ではなくなったということです。それは、まるでアニメ放映が終わった後の同人島を見ているようです。常に売れ筋を追い求める人々は、常に最新のアニメを追い続けるので、ブームがくれば一瞬で群がり、ブームが去れば一瞬で去っていきます。ブログという売れ筋に飛びついていた山師たちも、今はすっかり新しい売れ筋に巣穴を移しているんじゃないかなと思います。それはブログというジャンルが、相対的に枯れて成熟したことを意味します。

僕はプログラマです。「枯れる」という言葉は一般的には印象の悪い言葉ですが、プログラマの世界では違います。たとえばある言語が「十分に枯れている」といった時、それは言語が十分に成長し、十分に実績を積み、十分にバグが解消されて安定している状態を指します。その意味で、ブログという媒体表現は、2017年当時に比べ、十分に枯れた文化になってきているのかなと感じます。これは基本的にいいことです。

正直、このブログで何を書いたらいいかはまだ迷っています。前記事でも書きましたが、僕は今独立したフリーランスとして活動しています。自分のIPも持っており、その規模はこのないなりブログを既に超えています。もし記事を書くネタがあったとして、このブログで書くより本業のアカウントの方で書いた方が常に大きい反響が期待されます。つまり、このブログを運用することは、実利だけを考えると、甚だ非効率だということです。

でも、そういうのも酔狂かなと思います。

枯れた世界でブログを書くには、そのくらいのお馬鹿さ加減と愛嬌が必要なんじゃないかなとも思います。少なくとも、そういう理由で書かれた記事があってもいい。非生産的だから面白い。つまり、それは人生です。次の記事がいつになるかわかりませんが、またよろしくお願いします。

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