物を捨てきれないなりに。

消費・浪費・投資という分け方があまり好きではない話。

[extoc]

ないなりです。

資産管理の本を読むと、高確率で「消費・浪費・投資」というワードが出てきます。何故かミニマリスト界隈でもよく聞く気がします。でも、個人的にこの分け方、あまり好きではありません。言葉が強すぎる割に定義がガバガバというか、ガバガバな使い方をされるかたが多いイメージがあるからです。

多分、言葉が強すぎることこそが原因だと思うんですよね。「必要な出費は消費! それ以外は全部浪費!」という分け方は、多分ほとんどの人類にとってつらすぎるのだと思います。だから「これは○○だから投資!」みたいなイイワケをして、正当化が必要になる。投資に分類されるのは、投資だけです。つまり、現実的に回収の見込みが立つ資金投入です。いったいこの世の何割の「○○だから投資!」がその後の資金回収まできちんとチャートで追跡されていることでしょうか。

資金回収の見込みが立たないまま、やみくもに投げうたれるお金。それを浪費と呼びます。語弊を恐れずいえば、「○○だから投資!」のほとんどは、浪費です。少なくとも、具体的な資金回収計画を立てないまま出費しているなら、そうです。でも、その現実を受け止めるには、消費・浪費・投資の定義は、人類にはつらすぎます。だから、人はこれを投資と呼びたくなるのだと思います。

なので、個人的にはもっとユルくて、人類によりそった表現が好きです。

以下は、自分がふんわり思っている分類です。

もちろん数年後になって、突然後悔が襲ってくるパターンもあると思います。冷めちゃったというか。あんなに納得して出費したのに、何やってたんだろうみたいな。いわゆる蛙化というやつです。出費も蛙化します。人は変わるので。でも、それはかつて好きだったものの軌跡です。「馬鹿なことしたなー」と思いつつ、その「馬鹿なことしたなー」まで含めていい思い出になってくれたら、それが一番素敵かなと思います。

※※※

というようなことをつらつら書いていたら、過去にも似たような記事を書いていました。

ここでは上述した「他人にとってはそうじゃないかもしれないが、私が生きるのには必要」の概念をシンプルに「わーい」の三文字でまとめています。過去の自分なかなかやります。あと8年の時を超えて、似たような記事を書いていることにびっくりです。同じ人ですからね。変わらないものもあるものですね。

ないなりでした。

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