物を捨てきれないなりに。

どう解決し、どうつきあう?2014年残課題と、割と綺麗な締め方

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前回の記事「何が変わった?実質二週間で過ぎ去った僕の2014年」では、2014年の振り返りとして、当ブログ「物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。」を開設して良かった点などを三つあげさせていただきました。

今回は、前記事とは反対に、ブログを開設したことによって生じた課題(ネックやデメリット)にフォーカスしたいと思います。そうして自分が直面している問題を整理したうえで、来年以降の解決を図っていきたいと思います。

ブログ開設によって自分が現在感じている課題は、以下の三つになります。

平日の朝時間を奪われる

まだ新しいタスク「ブログ執筆」に対応しきれていない

ブログ記事を執筆するということは、今までのライフサイクルの中に執筆時間が割り込んでくるということに他なりません。

僕は朝型生活者なので、ブログ記事も大体早朝に書くことが多く、本記事も朝起きてすぐ書いております。

この朝時間は、今まで他の作業に当てていた時間枠でした。たとえば絵、たとえば音楽、たとえばプログラムなどです。しかし、当ブログを始めるようになって、別作業に当てていたこの朝時間を、記事執筆がほとんど占領する形になってしまいました。

一日が24時間である点は固定ですから、朝からはみ出てしまった他作業をそれ以外の時間に振り分けるためには、今まで時間を割いていた何かを削らなければなりません。帳尻を合わせる必要があるわけです。

自分の場合、現状、このタスクの時間調整が充分にできているとは言えません。一応、他作業を土日に振り分けるなどで対処はしていますが、突然降ってわいた「ブログ執筆」という恒常タスクとのつきあい方をまだ試行錯誤している段階です。

とりうる解決策 : 執筆時間を短くする?

手っ取り早い解決策は、記事執筆にかける時間を削減することです。たとえば、更新ペースを数日おきにすれば、執筆していない日は、今までやっていた他作業に当てることができます。

しかし、自分は、少なくとも、当分の間は毎日更新を心掛けていきたいと考えています。まだ記事数がありませんから、コンテンツ拡充を優先したいという意図です。なので、ペースを落として時間を確保するという解決策をとるつもりは、今のところありません。

あるいは、もうひとつの手っ取り早い解決策は、一回の記事投稿にかける時間をなるべく短くすることです。対策の実現性という意味では、こちらの方がはるかに現実的でしょう。

自分の記事は比較的文章量が多めのため、ブログ記事執筆には1、2時間、長い場合で3時間ほどかけていたりします。朝の時間がとれるからこそ今の文章量を実現できていますが、時間の削減をはかれるならはかりたいところです。

継続的にブログ更新していくという意味でも、一回の執筆にかかる負担が少ないに越したことはありません。この点については、まだまだ調整する余地を感じています。

日記の習慣が止まってしまった

毎日doneリストを書いていた

僕は、毎日、朝の時間を使って日記を書いています。正確にはdoneリストです。todoリストが「これからやること一覧」であるのに対して、doneリストは「やったこと一覧」に当たります。自分の場合、onenoteに前日のトライや発見を思い出せる限りで書いていました。

この毎朝書いていたdoneリストの習慣が、ミニマリストブログを始めて以降、すっかり止まってしまいました。まさにdoneリストは「ブログ記事執筆が朝時間を奪った」ことの影響を如実に受けているといえます。行き場を失った「他作業」のひとつです。

同じやり方をとるかわからないが、復活させたい

日記にしても、doneリストにしても、過去に自分がやったことを可視化することは、時間感覚を養う意味でも、ロギングという意味で重要です。僕は、お世辞にも記憶力がいい方ではないので、こうした可視化作業をせずに、自分の過去と満足に対話できる自信がありません。

今までと同じやり方で続けるかわかりませんが、少なくとも「過去を振り返る」という作業は、自分の24時間のどこかに盛り込みたいなーと思っています。

俗心が生まれてしまった

自意識の拡大は、僕らから時間を奪う

mixi全盛時代、多くの人が「新しい1件のコメントが~」の一文を見るたびに、少なくとも五分に一回F5キーを押していました。「人に見られる」「見られているという事実が自分に伝わる」ということによって起こる自意識の拡大です。

当時、mixi中毒なる単語が取沙汰にされていたことをおぼえています。まだSNS慣れしていなかった我々の中で、この自意識の罠にはまってしまった人は、意外に多かったのではないでしょうか。

大抵の場合、自意識の拡大は僕らの時間を圧迫します。上述しましたが、一日は24時間です。週で168時間。僕らに与えられた週の時間は、これ以上増えもせず減りもしない生涯定量プランです。そこにパケホーダイ的なカスタムオプションはついておりません。

自分の場合、ただでさえ創作活動やブログ執筆などの実作業に少なくない時間を割り振っているのですから、俗心に振り回されて、限られた残りの時間リソースを食いつぶすようなまねはできれば避けたいところです。

要は、「アクセス数や反応を見てニヤニヤしたりハラハラしている時間は無駄だよね」ということです。

そこまでではないが、意識はしちゃっている気がする

僕とて、これが初めてのブログ運営でも、おそらく最後のブログ運営でもありません。ひととおり、こういった「自意識の罠」の洗礼は遠い過去に済ませており、ある程度の自分なりの割り切り方も心得ているつもりです。

にもかかわらず、当ブログの開設は、僕の心に若干の俗心をもたらしています。おそらくgoogleアナリティクスを効果的に利用しようと試みたのが、今回からだったせいだと思っています。楽しくなってきちゃっているわけです。

今の僕は、あたかも心配性のデイトレーダーが株価表を一日に何度も見返すように、たびたびgoogleアナリティクスの画面を開いてしまっています。がっつり中毒になっているというほどではありませんが、別にgoogleアナリティクスを見る回数が半分に減ったとしても、僕の人生に何の不都合もないだろうくらいには思っています。

記事の当たり外れや訪問者の流れを把握する上で、googleアナリティクスを閲覧している時間がまったく無駄とは思いませんが、もう少しスリム化することは可能なはずです。

とはいえ、考え方によっては追い風

一方で、この「射幸心」が自分のブログの拡充化に一役買ってくれているのも確かです。

記事の投稿というインプットがあり、訪問者というアウトプットがある構図は、原始的なゲームの要件を満たしています。アクションをとれば、スコアの形で報われることを自分自身が理解しているわけです。あまり綺麗すぎる言葉を使うのは好きではないのですが、まさに「読者の存在が励みになる」を、今の僕は体現している状態です。

アクセスの有無は、実際にブログを活性化させます。それは、投稿者にとっても、訪問者にとっても必ずしも悪いことではないでしょう。注意しなければならないのは、射幸心に飲み込まれると危ないということです。

今のところ、自分にとって、このほのかな俗心にはメリットがあります。特にコンテンツ拡充をはかっている今の時期には、カンフル剤として有益でしょう。なので、しばらくはこの俗心と付き合ってみようかなと思っています。つまり、あなたの来訪を、僕は楽しみに心待ちにしているということです。

本年はお世話になりました。これからも当ブログをよろしくお願いします。

ではでは。

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