ミニマリストは仕事ができないの?実例を一切使わずに反証してみた

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「社畜だけどミニマリスト」さんが「ミニマリストは負け・あきらめの終着点なのか?」という面白い記事を書かれていました。

「ミニマリストって、仕事が出来ない人がやむを得ずに選択するレベルの低い生き方なの?」

ミニマリストの皆様、こう聞かれたら何て答えますか?

「もしもバリバリ仕事が出来て、お金をガンガン稼げていたら、ミニマリストはやらないんですか?」

既存例をサンプルとして提示するのはNGとのことなので、せっかくですから、そういった例をいっさい使わずに考えてみたいと思います。

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目標設定

まずは目標設定

早速ですが、この問題を考える上で、まず目標設定をしましょう。しかし、設定する目標は非常にシンプルです。「~生き方なの?」という問いかけなのですから、目標はこうなります。

目標 : 生活する

目標を実現するアクションを付帯する

次は、目標を実現するためのアクションを付帯しましょう。

全ての生活に必要なものは基本的にお金によるアウトソースが可能です。たとえば、僕らは料理する上でいちいち稲を育てたりしませんが、これは僕らがお米の入手をアウトソーシングしているからです。

生活⇒アウトソース⇒お金のラインが一本で繋がるため、上記目標を達成するアクションは以下のように単純化できます。

アクション : 生活費を取得し、
アクション : 取得した生活費を消費し、
目標 : 生活する

アクションを効率化するアプローチを考える

この全体作業を効率化しようとした場合、とれるアプローチは二つです。

生活費取得のパフォーマンス改善
生活費消費のパフォーマンス改善

「生活費取得のパフォーマンス改善」ということ

これが「仕事が出来る出来ない」にかかる話なのかなと思います。

ただ、この記事では時間軸の評価を入れていないので、ここでいうパフォーマンスにおいて「能力の高さで収入を増やす」と「労働時間の多さで収入を増やす」は等価です。それらは生活費取得というメソッドの中で隠ぺいされているため、外からの見え方はどちらも「生活費取得のパフォーマンスを上げる」になるからです。

「とにかく稼げばいいんでしょ?」ということですね。

「生活費消費のパフォーマンス改善」ということ

こちらが「ミニマリスト」にかかる部分なのかなと思います。

最初におことわりしておくと、僕は必ずしもミニマリストが生活費消費のパフォーマンスを上げるとは思っていません(関連記事「ミニマリストは少ないお金で暮らせない」)。けれど、今はあくまで「ミニマリスト≒生活費パフォーマンス向上」が成り立つと仮定した上でのお話なので、僕の個人的意見については、この場ではどうでもいいことです。

生活費消費パフォーマンスの場合も、生活水準の評価をしていないため、「生活水準を落とす」と「購入効率を上げる」は、どちらも「生活費消費のパフォーマンスを上げる」という点で、ここでは等価です。それらは生活費消費のパフォーマンス向上策の中にラップされ、ブラックボックス化しています。

「とにかく出費が少なく済めばいいんでしょ?」ということですね。

アプローチの関係性を整理する

対立も協調もしないAとBの関係性

さて、「生活費取得のパフォーマンス改善」「生活費消費のパフォーマンス改善」――この二つは、アプローチの違いはありますが、どちらも目的が達成できるという点で等価です。かつ、対立も協調もしません。つまり、AとBには以下のような関係性が成り立つことがわかります。

  1. AとBは同時存在できる
  2. Aの存在は、Bの存在を保証しない
  3. Aの存在は、Bの不在を保証しない
  4. Aの不在は、Bの存在を保証しない
  5. Aの不在は、Bの不在を保証しない

(2~4について、同様のことがBにもいえる)

対立も協調もしない生活費取得・消費の関係性

今回のケースにあてはめてみると、以下のようになります。

  1. お金を稼ぎながら生活費を下げることができる
  2. 生活費を下げたからといって、お金も稼ぐとは限らない。
  3. 生活費を下げたからといって、お金を稼がないとは限らない。
  4. 生活費を下げなかったからといって、お金を稼ぐとは限らない。
  5. 生活費を下げなかったからといって、お金も稼がないとは限らない。

(2~4について、同様のことがお金を稼ぐ場合にもいえる)

結論 : どちらのアプローチをとってもいい

経済合理性はいつだって経済合理性

AとBは等価なので、効率化する上ではどちらのアクションのパフォーマンスを向上させても構いません。もっといえば、最大効率化をはかるなら、両方実施するべきでしょう。

支出を小さく抑え、利益を最大化する企業は、ただ単に経済合理的なだけです。同じことが僕らもいえます。僕らがミニマリストを志向するのは、単に合理的なだけです。

対立も協調もしないなら、それはオプショナル

ミニマリストを志向することは、「仕事をする」ことを否定しません。かつ、保証もしません。上記のとおり、両者の間には、対立も協調もないからです(繰り返しになりますが、ここでは「ミニマリスト=消費パフォーマンス改善」が成り立つという前提のもとで話しています)。

ミニマリストを志向したうえで仕事についてどう考えるか、それはあくまでオプショナルな事柄です。

↓次記事に続きます。

ないなり
マキシマリスト的気質とミニマリスト的気質の間でゆらゆら揺れながら、日々を楽しんでいる気ままな人。

反応・感想・リクエスト等お待ちしております。

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