消費・浪費・投資という分け方があまり好きではない話。

[extoc]

ないなりです。

資産管理の本を読むと、高確率で「消費・浪費・投資」というワードが出てきます。何故かミニマリスト界隈でもよく聞く気がします。でも、個人的にこの分け方、あまり好きではありません。言葉が強すぎる割に定義がガバガバというか、ガバガバな使い方をされるかたが多いイメージがあるからです。

多分、言葉が強すぎることこそが原因だと思うんですよね。「必要な出費は消費! それ以外は全部浪費!」という分け方は、多分ほとんどの人類にとってつらすぎるのだと思います。だから「これは○○だから投資!」みたいなイイワケをして、正当化が必要になる。投資に分類されるのは、投資だけです。つまり、現実的に回収の見込みが立つ資金投入です。いったいこの世の何割の「○○だから投資!」がその後の資金回収まできちんとチャートで追跡されていることでしょうか。

資金回収の見込みが立たないまま、やみくもに投げうたれるお金。それを浪費と呼びます。語弊を恐れずいえば、「○○だから投資!」のほとんどは、浪費です。少なくとも、具体的な資金回収計画を立てないまま出費しているなら、そうです。でも、その現実を受け止めるには、消費・浪費・投資の定義は、人類にはつらすぎます。だから、人はこれを投資と呼びたくなるのだと思います。

なので、個人的にはもっとユルくて、人類によりそった表現が好きです。

以下は、自分がふんわり思っている分類です。

  • 「生きるのに必要」費
    いわゆる生活費であり、いわゆる消費です。

  • 「他人にとってはそうじゃないかもしれないが、私が生きるのには必要」費
    生きるのには直接不要かもしれないけど、自分にとっては実質必須!それがないと死ぬ!これでしか得られない栄養があるの!みたいな費用です。推し活という概念が一般化した昨今、この感覚に共感できるかたも多いのではないでしょうか。

  • 「正直これはいらんかったんじゃないかなー」費
    いわゆる浪費です。あとで後悔が生じる使い方というか。
    逆にどんなにひとから見て浪費に見えても「我が人生に一片の悔いなし」と胸を張って言えるなら、一個上の「他人にとっては(略」費に入れちゃっていいんじゃないでしょうか。

  • 「投資」費
    いわゆる投資です。純粋な意味で投資です。資金回収の計画を立てながら出費し、その後資金回収されるまでを追跡し、実際に資金回収される初期費用です。

もちろん数年後になって、突然後悔が襲ってくるパターンもあると思います。冷めちゃったというか。あんなに納得して出費したのに、何やってたんだろうみたいな。いわゆる蛙化というやつです。出費も蛙化します。人は変わるので。でも、それはかつて好きだったものの軌跡です。「馬鹿なことしたなー」と思いつつ、その「馬鹿なことしたなー」まで含めていい思い出になってくれたら、それが一番素敵かなと思います。

※※※

というようなことをつらつら書いていたら、過去にも似たような記事を書いていました。

ここでは上述した「他人にとってはそうじゃないかもしれないが、私が生きるのには必要」の概念をシンプルに「わーい」の三文字でまとめています。過去の自分なかなかやります。あと8年の時を超えて、似たような記事を書いていることにびっくりです。同じ人ですからね。変わらないものもあるものですね。

ないなりでした。

ないなり
マキシマリスト的気質とミニマリスト的気質の間でゆらゆら揺れながら、日々を楽しんでいる気ままな人。

反応・感想・リクエスト等お待ちしております。

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