大学に行くのは学びたいから?否!目的が「学歴」ならもっと手を抜けると思う話。

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僕は、割かし真面目な学生でしたが、ふと振り返ってみると、学校教育っていらないものが多かったなーと思います。

今まで「学校教育いらない論」には基本的に不賛成の立場をとってきていましたが、考えが変わりました。全面的にいらないとは言いませんが、無駄な部分はシェイプアップし、目的に最適化するべきだと感じるようになったのです。

つまり、断捨離です。

今回は、そんな「学校教育(部分的に)いらない論」に転向した自分の考えを書いていきたいと思います。

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学校教育は何故いらないのか~高等教育編~

知識や技術は必要になってからおぼえた方が早い

まず、これです。

社会に出て必要なことが、社会への出方によって違う以上、出てから適宜履修した方が効率がよいと思うのです。というか、実際は、学校教育で得たスキルでは不充分となることが多いため、結果的にそうなっているかと思います。代表例は英語です。

(社会に出るという表現自体がだいぶ気持ち悪いですが、話の都合上、ご容赦ください。修学状態の上手な対義語が思いつきませんでした)

僕は職業プログラマなので、必須スキルはプログラムになりますが、このスキルを覚えたのは入社後のことでした。もちろん、プログラム程度なら、高校や大学で触れてきたかたもいらっしゃるでしょうが、ここで言いたいのは、入社後に学んでもスキル習得は充分間に合うということです。

学習のスタートは「必要」と「興味」であるべき

入社後の学習で間に合うのであれば、修学中に専門技術、専門知識を無理矢理習得する必要はないように思います。もちろん習得してもいいですが、無理矢理である必要はありません。

であるなら、それら専門技術、専門知識を学ぶ契機は、本来、「必要」か「興味」であるべきです。そして、学生の身で自分の人生にどんな専門技術、専門知識が必要かを判断することは困難です。まだ就業していないのですから。判断が困難なことを無理矢理判断するから齟齬が生まれるのです。

というか、高校や大学が義務教育ではないのは、つまりこの前提があるからですよね。就学するか否かには、選択の自由があります。

でも、現実はそうじゃない。そこが世知辛いところです。

「学びたいから」ではなく「卒業チケットちょうだい」

問題は、本来「必要」や「興味」がスタートであるべき高等教育が、学歴=社会的評価を得るためのチケット化していることです。

ほしいのは、単に労働条件のいい会社に入るためのフリーパスチケットであって、修学自体が目的ではないわけですから、自然と最適解は「高等教育課程を卒業できる程度の最低限ラインを確保しつつ、後はフリーダム」になります。当たり前ですね。どうせ専門知識も、現場に出てから不足を感じて学び直すことになるなら、なおさらそうでしょう。

今の自分の目から過去の学生生活を振り返ると

真面目な学生には二種類おり、一方の目は閉じている

学生時代の僕は、少々真面目すぎたなと思います。真面目といえば聞こえはいいですが、つまり、目的のための最適化をせず、その判断を他人(親、社会規範、社会通例等)に委ねていたということです。

もちろん、本当に真面目な学生さんもいらっしゃることでしょう。なので、真面目な学生には二通りのタイプがあると思うのです。自分の意思で学業を選んだ人間と、「常識」に従って真面目な学生像を盲目的に選んだ人間の二種類です。自分は後者だったなーと思います。

まあ、「真面目な学生」像を全うできていたとも思いませんが(たはは)。

価値観が変わった今見ると、かつての自分は無駄が多い

もし、今の判断力や価値観、自分が把握している「必要」の感覚を持ったまま、当時の自分に戻れるなら、僕はもっと周囲から見て不真面目な――つまり、自分の目的から見て合理的な学生生活を送るだろうと思います。

これは「過去に戻りたい」というわけではなく、どちらかというと「(今の)自分ならもっとうまくやるぜ?」と過去の自分をディスっている感覚に近いです。あんまりそんな機会もないのですが、汚れている他人の部屋を見て、片付けたくなる衝動に駆られるのと似ているかもしれません。今の自分から見た学生時代の自分は、もうほとんど他人ということなんでしょうね。

同じように、もしかつての自分をトレースしたような学生を見かけたなら、今の自分の価値観によって「無駄が多いなぁ」という感想をいだくと思います。もちろん、他人の人生に発言権はないし、何が正解かなんてわからない話ではあるのですが。

おわりに

本来は、専門教育は学生の内にやる必要はないとした上で、話の焦点を義務教育にあてたかったのですが、毎度のこと、前置きが長くなってしまいました。もし、自分の中でこの話題への興味が持続していたら、別記事として続きを書いてみたいと思います。

ではでは。

ないなり
マキシマリスト的気質とミニマリスト的気質の間でゆらゆら揺れながら、日々を楽しんでいる気ままな人。

反応・感想・リクエスト等お待ちしております。

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