ミニマリスト志向者がブログを運営していく上で、しばしば立ちはだかる壁があります。
その壁とは、ブログによって拡大する自意識と、それによって生まれる新たな執着です。ブログへの依存度が高まり、全然ミニマルな気分になれない。断捨離できていない。そういうかたは、少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
自分も、ブログを開設したての頃は距離感が掴めず、アクセス数に一喜一憂したりしていました。ですが、最近は「あれ、なんだかいい付き合い方ができているぞ」と感じるようになってきています。今は、気持ちも軽く、ちょうどよい距離感です。
今日は、そんなブログとの距離感について2015年3月の僕から見える風景について、書いていきたいと思います。
ネット依存も含めて楽しめるようになってきた
あなたはネット依存者ですか? YES!
まず、ネット依存しているか否かでいえば、現状の自分はすごくネット依存しているように思います。
毎日のように記事を更新していますし、googleアナリティクスでもちょくちょくアクセス数を確認しています。ブログ村ランキングを覗いては気になったブログを訪問し、twitterで皆さんの呟きをチェックしています。
これらブログを主軸としたwebに割く時間は、少なく見積もってもトータルで一日数時間は下らないでしょう。休日などはひょっとすると、一日の大半を費やしているかもしれません。
一喜一憂ではなく、ほのかな一喜が残った
では、何が変わったのかというと、ネットに依存することが重荷ではなくなりました。単純に楽しいのです。
一喜一憂していた頃から一憂の部分が消え、一喜だけが残ったような印象です。それも常に脳内麻薬がドバドバ出ているような一喜ではなく、もっとマイペースなほっとするような感覚です。
今の距離感は、かなり気に入っています。
冷却期間を置いたのがよかったのかも
一ヶ月の低更新期間がもたらしたもの
ブログをとりまく重ったるさが消えたのは、何が原因だろう――そう考えてみると、多分冷却期間を置いたのがよかったのかなという気がしました。
ちょっと仕事が忙しい時期があり、一月の中旬から二月の中旬くらいまでは、更新頻度が極端に下がっていました。
この時期は、このまま更新が途絶えてしまうのかなーと少し心配もしていましたが、週に一度くらいはふっと書きたくなる(気持ち的に書ける)タイミングがあって、結果として週一ペースくらいの更新頻度となっておりました。
でも、きっと、これがよかったのだと思います。
「書かなきゃ書かなきゃ」でなくても書けることがわかった
振り返ってみれば、無意識な「書かなきゃ書かなきゃ」という気負いがあったのでしょう。僕は良い記事を書きたかったし、アドセンスによるマネタイズにも挑戦してみたかった(これはそんなにうまくいってないんですけどね。たはは)。だから、無意識にハードルを上げていたのだと思います。
それが「書ける時だけ書いてみる」スタイルでも、案外イケることがわかってきました。
意外に気負わなくても、ふっと湧いた「自分の書きたいこと」を掬いとることはできそうだ。更新が途絶えている間も、来てくれる人はいる。確かに毎日書いた方がアクセスは伸びるけれど、別に気が乗らなければ、明日でもいいや――そのくらいの気軽さです。
自分にとって必須な部分がだいぶ少なくなった気がします。
ブログを書くことが当たり前の日常になってきた
新聞を読む人達は、重荷を感じない
これも大きいと思います。ブログが自分の中の日常に溶け込み、特別「大変な作業」ではなくなってきました。
たとえばですが、毎朝、新聞を読む人は、重荷を感じながら新聞を開いているわけではないと思います。少なくとも、重圧に苦しみながらページをめくる人はレアケースでしょう。ポストからとってきた新聞を、朝食の席でトーストを食べながらめくるパジャマ姿のお父さん。それはもっと自然な朝の風景です。日々習慣化された行動は、日常の中に埋没し、空気のような当たり前と化していきます。
ブログ執筆は、若干楽しい日々の当たり前
僕にとって、ブログを書くことやwebを巡回することは、今、新聞を読むのと同じ日常のワンピースになりました。かつ、若干楽しい日常のワンピースです。さしずめ、鼻歌を口ずさみつつ、紅茶をいれるようなリラックスした気分で臨めます。
きっと、自分の中である程度やり方が見えてきたというのもあるのでしょうね。試行錯誤していた部分がルーチン化できた結果として、それは当たり前の日課になった。僕は新聞の読み方をおぼえ、新聞のめくり方をおぼえた。そういうことだと思います。
続きます
書いている内に、なんだか長くなってしまったので、分割したいと思います。
前記事「【更に追記!】あなたはどう答える?「非ミニマリストに10の質問」回答者12ブログをまとめてみた」が投稿時点で5000字を突破したのを目の当たりにして、「うむ、これからは、もう少し記事を分けよう」と密かに誓った矢先に、限界突破するところでした。まったく危険が危ないです。
前後編に分けるのなら、後半記事では、当初の推敲段階では削るつもりだったデジタルデトックスについても触れてみたいと思います。
↓後編記事ができました
【NEW】なんでミニマリストなのにブログ?その質問に僕はこう答える!2015年3月版 | 物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。
seminimalist.info
ないなりさんはじめまして:)
ちょうどネットの付き合い方をちょっと見直そうかと思ってたのでなるほどー!と読ませていただきました。私の場合は、読みたい記事も書きたいなーと思うこともあるのにやりすぎると疲れ顔が酷くて…(:_;) 自分にとっていい加減を探しながら楽しもうと思います。またお邪魔しますね!
みうさん、はじめまして。
自分にとってちょうどいいつきあいかたを探すのは、難しいですよね。
僕は、以前は、気持ちより先に目が疲れてしまうことが多かったのですが、画面を暗くして、文字を大きくして、ブルーライトカットの眼鏡をかけることで、乗り越えました。
「私が感じていたことを文章にして整理してくださった」というような錯覚を覚えました。
私も2ヶ月程ほとんど更新しない時期を経験してから、ブログとの付き合い方が良くなりました。
ネットがあるからこその楽しみや便利さを享受しながら、もう少しネットと離れた生活を理想としている今日このごろです。
そうなんですよね。
こういうことは、一回吹っ切れたらおしまいではなくて、たとえば急にアクセス数がすごく伸びたり、急に時間がとれなくなったりで、ぼくの気持ちが波立つことはこれからあると思うんです。
だから、定期的に、見つめ直していけたらいいなーと思います。