結婚観の変化について。その手を誰かとつなげたら。

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前記事で一年間の振り返りを軽く書いたところ、ブログ仲間であるにゃんすさんより次のような書き込みをいただきました。

ということで、まずこれから記事にしようと思います。

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去勢の話はどうなったの?

もともと、一年半~二年くらい前にこんな記事を書いていました。

そこまで断捨離!?使う予定がない⇒そうだ去勢しようの話。

 

つまり、相手がいないし使う機会もないので、去勢したいなーという記事です。自分にとっては、そこまで大した話ではなかったんですけれど、結構インパクトのあるテーマだったようで、色々な反響をいただきました。

そんな筆者が、結婚という単語をブログで書くことになるのだから、人生は、げに不思議です。

もともと去勢欲は減退

これは、一年半前の北海道講演でも話したので、もしかしてご存じのかたもいらっしゃるかもしれませんが、あれから去勢欲は減退しました。今は「まあ、あっても邪魔ではないかな」くらいに思っています。何故かというと、引っ越しして、家から職場までの勤務時間が短くなったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑上記のイラストのようなかんじだと思うので、以下説明いたします。

時短が目的だった

僕が去勢に感じていた魅力は、男性の重ったるい生理現象からの解放でした。かつ、生理現象から解放されることによって、無駄な時間が削減できることを期待していました。つまり、誤解を恐れずにいえば、時短が目的だったのです。

「よりプライベート確保するために、自分は何を捨てられるだろう?」と考えて、自分の持ち物に優先度をつけていった時に、比較的優先度が低くて、効果が高そうだったのが、たまたま「それ」だったのです。

時短するなら、去勢より引っ越しの方が手軽だった

ただ、引っ越して通勤時間が短くなったので、あまりそこを気にする必要がなくなりました。どうやら人間は、去勢するより引っ越した方が楽に時短できるようです。知りませんでした。

去勢はリカバーできませんが、引っ越しは再度引っ越しすることでいくらでもリフォーマットできます。社会的認知を気にする必要もありません。パーフェクトです。

もしかして費用対効果は、去勢の方が高いかもしれない

費用対効果を語りだすと、もしかして賃貸や一戸建てを確保するより、去勢した方がコスパよく時短できるかもしれません。賃貸や一戸建ては一生ものですが、去勢は一時期手術するだけです。ただ、僕はあまり費用対効果は気にしない方なので、それは評価項目になりません。

なので、少なくとも当分去勢という選択肢は遠のきました。

六十歳くらいになったら、また検討するかもしれません。その時くらいになったら、まさしく無用の長物になってそうな気もしますし。

結婚観の変化について

ありていにいうと、最近婚活を始めました。

もともと、パートナーがほしいと思ってなかった

もともと、異性のパートナーがほしいなという欲は、あまりありませんでした。それは別に性的な同性のパートナーがほしいという意味ではありません。必要なのは、生涯末永くつきあえる「ウマの合う誰か」じゃないでしょうか。そして、それに性別は関係ないよねと僕は思っているのです。

パートナーとの共同生活にも、それほどメリットは感じません。僕はルームシェアをしているので、共同生活のメリットという意味なら、もう持っています。むしろ、子供というファクターや、男性が女性を経済的に支えるという風潮を考えると、ルームシェアの方が色々気楽なようにも感じます。

にもかかわらず、僕が婚活を始めたのは、どうやら世の中には異性のパートナー相手じゃないとできないスキンシップがあるらしいぞと気付いたからです。

パートナー相手じゃないと、やっちゃダメなことがある

具体的には、ハグとか、手をつないだりとか、体寄りかかったりとかです。これらは性的接触ではないと思いますが、準性的接触くらいの立ち位置で社会認知されているものかと思います。

もともと自分は人懐っこい方で、世間が許すなら、性別関わらず親しい友人とハグを交わしたいと常々思ってきたのですが、あんまりそれが許されるシーンに出会ったことがありません。女性相手では、そういう性的な何かと勘繰られる可能性がありますし、男性相手では、また違った意味での性的な何かと勘繰られる可能性がありそうです。どうやら、そういうことは、パートナー相手じゃないと、やっちゃダメなようです。生きにくい世界です。

それでも、別にハグしなければ死ぬわけではないし、自分の中での優先度はそれほど高くありませんでした。いい大人だしね。我慢できる範囲でした。今までは。

仕事が忙しくなって、人寂しくなったので

優先度に変化が訪れたのは、仕事が忙しくなったためです。ある日へとへとになって帰宅した際、人恋しさを感じました。そして、その人恋しさは、ハグや体を寄りかかることで解消されそうだと思いました。しかし、そういったことを実践するには、日本では、性的な意味でのパートナーを作るしかルートがなさそうです。

なので、作ろうと思いました。

婚活はじめました

そういうかんじなので、やっぱり性的欲求はいまだに低いんですけれど。婚活を始めることにしました。

婚活なら、相手に迷惑をかける心配がない

僕にとって必要なのは、スキンシップができるパートナーなので、結婚は必須条件ではないのですが。それでも、婚活という手段をとるのは、婚活なら相手がフリーであることが確実だからです。かつ、相手もパートナーの存在を望んでいます。既にパートナーがいらっしゃる相手に声をかけるのは申し訳ないですし、パートナーはいないけど主義として作らないというかたに声をかけるのもやっぱり失礼ですし、残念ながら僕にそれらを見抜く能力は全く期待できません。

それに、年齢的にも結婚はちょうどよいです。会社から手当も出ますし、給与アップや稼働調整がしやすくなりそうです。祖母が健在なうちに結婚することができれば、祖母はきっと喜んでくれることでしょう。

無理だろうと思っていたので、WINWIN作戦を目論んでいたが

正直、僕はそれらを叶えるために、あと数年の内に誰かと形式上の籍だけ入れようかなと思っていました。日本に長期滞在したい外国人女性に丁寧にプレゼンすれば、特に互いの間に親密さがなくても、籍だけ入れてもらうことはできるんじゃないかなと。そうすれば、給与アップと稼働調整と祖母を喜ばせることができます。向こうは日本に長期滞在できます。WINWINです。

などというと、拒否反応を示すかたもいらっしゃるかもしれませんが、要は、そういうWINWINの関係でも作らないと、結婚するとか無理なんじゃないかと思っていたのです。

ただ、今はこのWINWIN作戦では足りません。目的がスキンシップなので。ちゃんとそういう関係が許容される、心の通い合ったお相手を探さなければいけません。

相手を幸せにできるのは、すごいこと

一生の内に誰かひとりでも人を幸せにできるのであれば、それはすごいことです。僕にそれができるかはわかりませんが、そうできたらどんなにかいいだろうと思います。それを達成する社会的スタンダードな枠組みが結婚なのであれば、制度に相乗りさせてもらうのもやぶさかではありません。

まとめ

というわけで、婚活しています。

なんだか途中途中の思考回路が大変にアレですが、まとめると「人恋しくなったし、年齢的にもそろそろだから、結婚相手探すよ」ということです。上述の文章に違和感を持たれたり、不快感を持たれたかたがいらっしゃいましたら、照れ隠しの理屈付けということでご容赦いただければ幸いです。

ではでは。

ないなり
マキシマリスト的気質とミニマリスト的気質の間でゆらゆら揺れながら、日々を楽しんでいる気ままな人。

反応・感想・リクエスト等お待ちしております。

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